文化財2

今日、仕事の帰りに古建築関係の人と飲みながら、考えたような考えてないようなことを話していたら、なんだかあたりまえのことに気がついた。
或るものを残そうとすることは、そのまんまにしておくと残らないんじゃないかなってうすうす気付いているからなんだって。
失われてしまうんだって思うと、残したくなる。
文化財として残していこうとするものは決して建造物だけではなくて、オオサンショウウオ屋久杉、美術工芸品とかいろいろ。残らないのは環境が変わってしまうから。
残したいって事は、その文化財を含んでいる大きな環境を、実は認めてるんだとおもう。
でも環境は変わっていく。
そして文化財として残して、ごまかす。
もちろん、極論。
一面的なことです。
でも保護しなくとも文化財が残る環境をもつことができれば素晴らしい。
そんなふうに思う。

文化財

文化財建造物に関わる仕事をしている。
で、今日は、友達の研究者と文化財とは何かという話になった。
それは建造物の保存はなぜなされるのかという話でもあって、率直に言ってなかなか難しいと思う。
好きなものはずっと残しておきたい、いつでも見ることができるようにしたい!という理由では、税金を使う理由にはならない。
それに、僕自身が考えている保存する理由も好きだから・・・というわけだけでもなさそうである。
もちろん、文化財に関わる以上、そのあたりのことは説明できるように日頃から考えている。
しかし、改めて考えてみるとなかなか一筋縄でいかない問題じゃないかなと思う。

小難しいことをいわなければ、その理由の一つは、人間が根本的にもっているルーツを探りたいという欲求、つまり日本人としてのアイデンティティに関わることだからと考えている。
また、空間体験の豊富さが将来的な住環境に関わるからこそ将来に残すべきとも考えている。
そのために建築物が多様であるべきだから。
他には、二度とつくれないものを残すとか、いろいろと細かな理由はあるけれど、精神的な意味合いが強いのは間違いない。

貴重だとか、価値があるとかは理由にならない。
どう思います?

から騒ぎ

シェークスピア原作の、からっとした雰囲気を持つ、おおらかな作品です。
かなりの豪華キャストです。
ぼくは好きですよ。古典は。
ケネス・ブラナーってこういうのまとめるのうまいなぁ。
時代背景はもうわすれたんだけど、ギリシャのオリーブかおる、クラシック(当たり前か)の雰囲気がします。

バグダットカフェ

かつて、この映画を見た記憶をたどってみると、そう、あれはもう10数年も前のこと。
完全版の上映を見に行ったのだった。
名前だけは知っていて、有名だし、いろいろな人に薦められて、乗り切れないままの映画鑑賞。
その上、徹夜明け。

始るや否や、アースカラーの画面が眠気を誘う。
後悔の嵐。
「あー失敗や。こんな映画のどこがええねん!みんな、この映画のことをええっていうたら格好ええと思ってるから、ほめるだけなんちゃうの?」
という、友達に対する疑心すら頭をヨギル。
しかし、そんな状況もつかの間、終わるまで余計な思念は吹き飛ぶのである。
まるで、自分自身が『無』になったかのよう。
そう、まさに禅の境地なのである。

はっと我に戻ると、聞きなれた“コゥリンギュー”。

悔しいとも、やられたとも思わない。
こりゃ名作だ。
「うーん、みんな嘘やなかったんかー。すまん、うたごうてすまんかった。オレの為おもってしょうかいしてくれたんやなぁ。」
と反省、謝罪。

こんなことを未だに覚えてるので、かなり名作です。他にはないなぁ。こんな映画。
見てない人は必見ですぞ。

パリ空港の人々

空港って魅力的。
何が好きなの?と問われても、はっきりと答えにくいところも、またいい!
他にないでしょ。あんな活き活きとした雰囲気に満ちたところ。
特に国際線。

空港に行くと、期待感と希望に満ちてしまう単純な自分に会うことができる。
自分が旅行に行くのではなく、見送りの時でもそう。
なんで、それほど昂揚するかというと、自分の所属する世界が一気に拡がるような気がするから。
また、同時にすごい孤独感も感じてしまう。
でも、その孤独感は生物として根源的なもので、決して孤立感じゃなく、どこか晴れ晴れしい。
宇宙にほおり出されたら、膨大な時間と空間の中で万能感を味わうとともに、非常な無力感を感じるような気がするんだな。
きっとその感覚の同一線上、随分手前の雰囲気が空港にはある。

さてさて、肝心の映画の内容ですが素敵やし、おしゃれです!
空港でパスポートに出国の検印をもらった瞬間から、僕らはどこの国にも居ないことになるわけですが、そういった非日常的で不思議な時間と空間をうまく扱ったのがこの映画。
本来居るべき日常の世界を夢のような世界として映し出し、人の優しさを際立たせて描き出してくれます。
登場人物も魅力的で、ジャン・ロシュフォールはさすがのいい味。
脇を固める俳優も含め、暖かな演技を披露してくれます。
置かれた状況が変わるとこれほど日常は違って見えるのかと驚くこと間違いなし!

一度体験すると元にはもどれないかもしれないのに、こんなハプニングなら体験してみたい・・厄介な作品です

ヘドウィグ アンド アングリーインチ

2004年ビデオで見た映画No.1。
あまり期待せずに見たんだけど、ごっつよかった!
音楽仕立てのゲイものなんだけど、そんな言葉から受ける印象とは程遠い映画。
それも、ゲイを演じている主演・監督のジョン・キャメロン・ミッチェルの才能のおかげかな。
はじめはただのおっさんだったヘドウィグが、なぜか途中からかわいらしく見えてきて、魅力的にすら感じてしまう。恐ろしい・・・。
しかし、俳優という商売の底の深さを垣間見た感じ。
また、歌が80'sのど真ん中直球で、ちょうどその時代に音楽の洗礼を受けた僕にとっては、かなりキャッチーでした。ミッチェルの声がいいんだなあ。
ちなみに、プラトンの『饗宴』で語られる愛に関する話を歌詞とした「origin of love」はバックに流れる映像と共にかなりの出来栄え。
内容も芸術家というか表現者として意思を貫いて生きる孤独感、弱さ、そしてそれを超える強さが余すとこなく描かれていて、精神的な深みをも湛えた作品になっとります。
是非、ご覧あれ。