伊根浦

こんな記事を発見。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005030500130&genre=M2&area=K60

伊根浦が重伝建になるのを実感。まあ、決定でしょう。長い間頑張った甲斐があった。
海に浮かぶように汀に並ぶ舟屋群が最も目を引く集落だけど、山側に広がる主屋と舟屋との関係性が実はおもしろい。
海岸線に沿って敷設された道路が舟屋と主屋を引き裂いてはいるが、もとはこの道路、舟屋と主屋の間に設けられた中庭のような存在だった。各家の中庭が連続して狭い通路を形成していたのを、海側に舟屋を曳屋し、拡幅したのが今の道路。山腹にも道が走り利用されていた。今も祭りなどで利用されている。
いろいろなパターンはあるものの、基本的に海側から舟屋→土蔵→主屋という順に今も建物が配置される。もとは短冊形だった敷地が道路で分断されてはいるが、かつての風景を偲びながら歩くのもまた一興だ。
連続して建つ舟屋の形成には、漁業権と耕地権を一体不可分として扱った鰤株制度の暗い影響が色濃く見える。
昔読んだ評論で、作者も題名も忘れたが覚えているものがある。
機能を失った遺跡は美しさを身に纏い、遺されていくという内容。残虐な行為の行われたコロッセウムもその一例。
今になって、ふとそんなことを思い出した。