蟇股についての覚書 その2

板蟇股と本蟇股

蟇股には板蟇股と本蟇股(透かし蟇股)の2種類がある。
どちらも輪郭の形は多様とはいえ、裾広がりの山形が基本で、じゃあ違いはというと輪郭のなかが刳抜かれているかどうか。
板蟇股は彩色や彫沈めが施されていたとしても板状で、本蟇股は上記のように刳抜きや透かし彫りが施されている。
あと、法隆寺金堂の高欄にみられる人字形割束のように、二材結合式で合掌構造のもの(って書くとむずかしー)もあるけれど、大部分が上の二つに分類される。

板蟇股

板蟇股の古い例はというと、奈良時代後期と目される法隆寺東大門や伝法堂の蟇股、そして、東大寺転害門とか唐招提寺金堂内陣や講堂の蟇股がその例。
平安時代の前期では遺構がなく、後期に至って、法隆寺西院鐘楼、平等院鳳凰堂翼廊や中堂内部、厳島神社本社幣殿のものが代表的。
とくに、平等院鳳凰堂の中堂に見られる蟇股は、繧繝で宝相華唐草が描かれ、かなり美しい。
ただ、この時代のものは構造体であるべき蟇股の本質を忘れて、かなり薄いものが多い。
鎌倉以後は定型化されたものも見え始め、地方色も豊かになる。
鎌倉時代の代表的なものは、唐招提寺鼓楼、東大寺二月堂北門、元興寺極楽妨本道、東福寺月下門。
最後の二つは、扁平で輪郭に複雑な曲線を持っているが、この曲線は後に、格狭間や手挟、懸魚の鰭などに応用される。
室町は八坂神社西楼門、法隆寺北室院唐門、鶴林寺兵庫県)本堂など、徐々に個性的になる。
特に、鶴林寺の二ツ斗をのせた蟇股は有名で、さらにこの二ツ斗の上に花肘木を加えた形態を持つ白山神社(長野県)の蟇股も同時代のものである。
最後に江戸時代の例としては、西本願寺飛雲閣の蟇股が知られ、眼玉が失われていることが興味深い。
本蟇股についてはまた今度。