Kyoto Northern Church

mies2005-03-05

修士時代の同級生(女)が結婚した。式場は京都北山教会。
これまで行った結婚式は神式がほとんどで神社が多かった。ホテルでも神式でした。
今回は教会での結婚式。日本では初めてだったので興味津々で行ってきた。
教会は「西構え」という言葉があるように、西向きにエントランスを設けるのが基本。ところが、ここは東に向かって入り口を開いている。ん?と思って敷地をみると、別段、東向きにする理由はなさそう。調べてみたところ、ここは教会ではなく結婚式場で、宗教性は排除されているようだ。
内部は、中央にバージンロード、その両脇には背に棚?のついた教会仕様の長イスが並べられる。
バージンロードはすごく神聖なので、カメラマン以外は一般の人は立入り禁止。場内はとてもとても神聖なのでカメラ、ビデオでの撮影は禁止。もちろんカメラマン以外は。
そんな、いぶかしげな教会で式は厳かに始まった。
まるでコントのようなイントネーションの日本語で話す神父さん(贋者?)と新郎が入場。
バックに流れるあやういオルガン演奏とは裏腹に、賛美歌(女性二人。アルトとソプラノ)は非常に上手くて、思わず感激してしまう。父親とともにバージンロードを歩む新婦が登場。上背のある玉ちゃんのウエディングドレス姿はすごく美しい。その背後で開閉されるドアの動きに、住吉大社の夏祭りにでるお笑いお化け屋敷の扉を思う。
みんなで賛美歌を斉唱し、お決まりの文句にもなんとなく感動。
特に、参列した皆が手をつなぐ行為は今までなかった経験で、西欧文化と日本文化との違いを痛感してしまう。
がらんとした空間にオルガンと賛美歌が響き渡る雰囲気は荘厳で、日本の儀式とは違い、次第にはクライマックスがある。結婚式に限らず、参列者が圧倒的な光と音と空間(ゴシックの場合)に包まれる儀式は、西欧中世のキリスト教徒にとって、本当に天国のようだったろうなと思う。例え、その背後に腐敗した組織があったとしても。
ケルンやパリの大聖堂の空間で行われる儀式の光と闇を想像しつつ、結婚を祝福しつつ、式は終わった。
外にでると既に日は落ちて、暗くなっていた。新郎新婦が教会から登場すると、隣のビルからスポットライトが照らされる。
教会で式を挙げたいと思う人の気持ちがなんとなくわかった日だった。

二見のぶたまん

昨日、天見の調査をしたあとに、難波で二見の豚まんを買って帰った。
実は551のが好きなんだけど、まあ試しにと買ってみた。
今日それを食べるにあたって、なんと電子レンジがないことに気がついた。
実はわたくし、3月6日に現在住んでいるところを引き払いまして、新しい住居に移るわけです。
ところが、同居していた弟が先に電子レンジを持っていってしまったことを忘れてしまっていて、電子レンジをあてにして豚まんを買ってきたわけです。
温かくない豚まんなんて豚まんじゃないってことで、一計を策してみた。
それは、急場しのぎの蒸し器を作ってみようという作戦。
まず、鍋に湯を入れ、その上になぜかあったケーキの型を置く。
ケーキの型は底が外れるのでリング状の土台となる。その上に簀の子をおいて完成!
早速、お湯を沸騰させ、豚まんを投入。待つこと15分、ふかふかの豚まんのできあがり!
ふかふかの白い餅肌に、黄色いからしをつけ、がぶっとかぶりつく。うーん、至福!
しかし、二見の豚まんは中の具(あん)の主張が強く(歯ごたえがあり過ぎ)今一つ。
やはり、豚まんは551だという結論に至ったわけでした。

天見

今日は大阪の天見に建つ或る旧家の実測調査だった。
朝から凍てつく寒さで、吐く息がすぐに凝結する。
南海高野線天見駅を降りると、大阪から僅か40分とは思えない環境。
軒の低い家が疎らに建ち、小川が流れ、木が茂る集落は本当に気持ちがいい。
旧道沿いに走る道路に違和感すら感じてしまう、そんな恵まれた美しい場所に調査対象物件はあった。
旧道に面して長い土塀をもつ民家で、18世紀に建てられたという茅葺きの主屋に加え新座敷と茶室をもつ。
茶室が5つ(今は4つ)あり、それらは大正から昭和にかけての名工でもあり茶人でもある木津宗泉の作。
久しぶりに良い建物を見せていただきました。
凛と引き締まった空気をもつ土間に、雨戸だけでガラス戸を持たない縁側、茅の途切れたあたりに設けられ部屋に直接採光する天窓(あかりとり)など、見どころも多い。
詳しく書きたいけど、今は少し時間がない。
でも日本の民家ってほんとにいいもんです。
住んでみたい。

スト

ストレスとは自分の気付かぬうちに堆積するものなり。
いかに発散するか各人のバリエーションはゆたかなり。
しかし発散できたかどうかの確認これまた難なり。
そして発散し続けがちなり。結局たのしむなり。
ゆかいゆかい。

あんなー時代もー

教授方の話を聞いていると、昔の下宿状況というのはかなり赤裸々なものだったんだなと思う。
ふすまで仕切られた部屋で、鍵がなかったり、一部屋に二人で住むこともあったらしい。先輩の下宿を代々後輩が受け継いでいくとか、いま体験したくてもうちの大学周辺では難しいことばかり。
下宿の窓から隣のお姉さんの着替えが見えたとか、そんなのは今も昔も同じ。
べたべたした人間関係も、そういった雰囲気が希薄な学生の多い今では、暖かく魅力的にすら感じる。
んななかで、特に世代の差を感じるのが、京都国際会館のコンペの話や大阪万博の話。
コンペの結果に難癖つけて、菊竹さんの案は進みすぎていたからみんな理解できなかったんだとか、いろいろ議論するのは今も同じ。でも、僕ら世代にとって既に歴史となっている国際会館のコンペが、リアルタイムに議論されていたってのは、時代を感じる。

てれびじょん

昨日、ずいぶん長く封印していたテレビを解き放ってしまった。
というのも、新シルクロードの魅力に負けたため。
1回目を正月、実家で見てしまったので、もちろん2回目も見たくなる。
知人から、新シルクロードやってるでーという甘いメールを頂き、テレビを開封
最初20分程は見逃したけれど、トルファンのベゼクリク千仏洞ってのが取り上げられていて、その内部全面をを覆う誓願図という色鮮やかな壁画の復原がおもしろい。それに、その壁画のもつストーリー、背景はとても魅力的だった。
壁画は、20世紀初頭に様々な国の探検隊によって持ち去られ、今は散逸してしまっている。そのデータを再び集め、欠けた部分を歴史学的考証によって補いながらデジタル復原するんだけど、データが限られている以上、完全な復原はありえないし、補完すべき部分は想像で補うしかない。これは壁画が描かれた時代にまで時代を遡り、その時代の人となってなされた創造行為だな、なんて思う。
誓願図の画題では、然燈仏授記?のエピソードに心魅かれた。釈迦の前世の話で、泥土の上に釈迦が髪を敷き、然燈仏がその上を歩いている図だ。この行為により、釈迦は然燈仏に次の人生で世界の人の灯明になろうと予言されるらしい。
そんな佛教の釈迦以前の話を知らなかったものだから、どのようなものなのか俄然興味が出てきた。
ほんで、トルファン
交易の中心地だっただけに画中に多様な言語が記載されているのが面白い。
漢字からウイグル文字、アラブっぽいものからアルファベットの様なものまで、実に多様。
飛行機がなく、まだ地球が大きく、世界が広い時代の、まだ見ぬ地へのロマンを感じた。
日本がとても狭く感じられた時間だった。
今のトルファンはそんなことも忘れて、ぶどうに踊りと歌にと笑って生きる街。
あの笑顔は今の日本で見られるだろうか?